気まぐれ日記 08年11月

08年10月はここ

11月1日(土)「今週末もゼミ・・・の風さん」
 今週のウィークデーも論文の進展がイマイチ思わしくなかった。
 いっそお願いしているゼミをキャンセルして、できた時間を論文作成に当てようかと思ったが、先生の指導はビタミン剤のような効果があるので、出かけることにした。
 裕次郎のウィンドブレーカーを羽織って、元気よく家を飛び出した。
 (今日もしっかり歩くぞ)
 本山キャンパスに着いたら、1階のロビーでロボットの展示をやっていた。愛工大は鉄人28号をイメージキャラにしているだけでなく、実際に鉄人28号を作ってやろうという大胆な学内プロジェクトまである。鉄人28号は、風さんが幼稚園の頃に人気の高かった漫画とテレビドラマである。プロトタイプの鉄人28号を学生が操作していた。
 (がんばれ、鉄人28号プロジェクト!)
 学内掲示板を見ると、来週末に工場見学会があり、大野先生が引率教官になっていたこともあり、何とか行きたいと思った(こういう情報を得るためにも、キャンパスへ来た甲斐があったというもの)。
 ゼミの方は、論文作成のために満足できる計算結果が出たことを報告し、1時間で切り上げさせてもらった。
 帰りも最寄りの駅から自宅まで、上り坂もなんのその、一気に歩いた。
 ぜーぜー(喘ぐ息)。

11月2日(日)「晋山式(しんざんしき)・・・の風さん」
 朝から今日の慶事を祝うがごとく、どこまでも澄んだ青空が広がっていた。
 近所に曹洞宗の古刹、梨渓山(りけいざん)心月斎(しんげつさい)があり、引っ越して来てから亡父が墓を建て、うちは檀家に加えてもらった。住職が読書好きであることから、鳴海風の応援もしていただいていて、ありがたく思っている。
 その住職の長男が新たに心月斎の住職となるので、今日は晋山式(しんざんしき)がある。
 御詠歌の響く中、新住職が引き連れた稚児の行列が続々と寺に詰めかけている頃に、私たち夫婦は境内に入った。冠をかぶり、衣をまとい、おしろいを塗った子供らが、両親に連れられて、山門をくぐり、境内を本堂へと進む。男子も女子もいる。どこにこれだけたくさんの子供らがいたのだろう、と疑問に思う必要はない。この周辺だけでなく、けっこう遠くからも噂を聞きつけて親が子供を連れてやって来るのだ。当地では、稚児行列に3回出ると幸福になれる、という言い伝えがあるからだ。そのことを知らなかった我が家では、1度も稚児行列に参加しなかった。
 新たに任命された住職は、新命和尚と呼ばれ、緋の衣を着て山門を入ってくるので、山に晋(すす)むいうことで、晋山式と言うのである。
 いちおう檀家なので、庫裏に入れてもらい、栗きんとんでお抹茶をいただいた後、本堂に進んだ。外から見ていても、今日はお坊さんが多いな、と思っていたが、いるわいるわ、そこらじゅうに僧侶がいる。後で記念撮影のために並んだ僧侶を数えてみたら、50人ぐらいいた。それでもあふれた僧侶がいて、噂では70人ぐらいいたらしい。そもそも曹洞宗大本山永平寺から貫首大禅師が来ているくらいだから、大きなイベントなのである。
 結制上堂という儀式があった。須弥壇に上がった新命和尚が、参集した僧侶と禅問答をするのだが、若い法友とも言うべき僧侶から「酒は百薬の長とも言うが、過ぎたるはなお及ばざるがごとし、とも言われる。これを機会に禁酒したらどうか」などと問われるのだ。よほど酒好きの新住職なのだろう。
 「なかなか難しい問いなれど、須(すべか)らくその日の体調とも相談して、適量を飲むべしぃ〜」
 「吉祥(きちじょう吉上?)、吉祥、大吉祥〜」
 悪友でもある法友は、この答えに満足したフリをしながら下がって行く。
 続けて、首座法戦式(ほっせんしき)というのがあった。今度は、別の若い僧侶が多くの僧侶の問いに答えていくのである。結制上堂がアドリブで答えるのに対し、こちらはシナリオが決まっていて、間髪(かんはつ)を容(い)れずに答えていかなければならない。以前永平寺での法戦を観たことがあるが、間近にすると相当の迫力で、緊迫感がある。
 すべての儀式が終わって、記念品と上等なお弁当をもらって帰宅したが、檀家として一生に一度しか見られない(と思われる)晋山式に参列できて、感動した。
 なお、新命和尚は、中学進学と同時に得度、駒澤大学仏教学部を卒業してすぐに永平寺に入山、3年と8ヶ月の修行を終えて帰ってきた。まだ38歳の若さながら、堂々たる風格が早くも漂い始めている。

11月3日(月)「文化の日は何の日・・・の風さん」
 文化の日だが、会社は休みではない。
 ラジオ体操から始まり、月に一度の職場全員が集合する「全体朝礼」を開催した。なるべく祝い事や楽しい話題を皆に提供するように心がけている。今朝のきわめつけは、職場内に、このたび黄綬褒章の受章が決まった人がいることだ。実に喜ばしくもおめでたいことだ。18日が授章式とのことである。
 いつものように超多忙でせわしい1日が過ぎて、急いで帰宅した。
 文化の日はワイフのバースデーでもある。子供が大きくなってから、誰のバースデーであれ、それほど大騒ぎしなくなってしまった。今回のバースデープレゼントも、通信販売で見つけた指輪で、先週既に届いていたのだが、今日やっと開封して渡した。
 ワイフが早速指にはめてみると……サイズが大きい(笑)。
 明日電話して、交換してもらうことになった。通信販売では、やはり冴えないな。

11月4日(火)「ARTBOX 2008・・・の風さん」
 午前有休である。電車に乗って名古屋へ向かった。
 「18th ARTBOX展 NAGOYA 2008」の審査員をやらせてもらうのだ。
 これは竹中工務店名古屋支店設計部が毎年おこなっている、30cm立方の空間におさまる作品展である。私は10年くらい前から、必ず見学に行くようにしている。最初は知人の作品を鑑賞するのが目的だったが、建築家の人たちが、たとえば現場に落ちている廃材などを利用して作品化し、その造形美を競っている姿が楽しくて、病み付きになった。
 開場30分前に着いた。それぞれ全くオーナーの違う双子ビルの右側の奥が会場である。もちろん設計施工は竹中工務店。
 今年のテーマは『街』だった。
 未内装の空間に、感性と技術の融合した創造力が生み出した、宏大な街が広がっていた。マッチの軸を使った「マッチのマチのマーチ」が目に飛び込んできた。面白い。へちまをむしって造形した「へちま まちへ」といったコミカルなタイトルもある。HOPEの箱を無造作に重ねた「禁煙都市」も皮肉たっぷりだ。道路工事脇によくある三角形のコーンをきれいにくり抜いた照明「Making#1-Wind- Making#2-Find Making#3-Mind-」は、造りの技術を感じた。どんぐりに目玉を入れて、運動会のシーンを作った「よ〜い、どんぐり!」も、製作にけっこう時間がかかる筈だ。折りたたみケータイのディスプレイから自転車などが浮き出している作品は意味不明で、タイトルも「無題」(笑)。伝統的な廃材利用は「utilities」。偽防犯カメラを3台並べた「録」は?。建築家の視点を感じる「苗から用材までの長い時間」。老眼にはちょっと見落としてしまいそうな、人がいっぱいいる箱庭「ひと」。白い人形が一列に並ぶ「入口」は、横から眺めてみると、入口側の人の背丈が出口側のそれよりも若干大きくなっていた。天井に畳2枚分はありそうな白いスクリーンを吊るし、下の2台のプロジェクターから不思議な動く模様を映し出している「雪月花」は大作だ。例年通り暗室もあった。光も利用した造形展示である。透明度の高いガラスを、同じく透明度の高い接着剤で貼り合せて、見たこともないイメージをガラスの中に創り出しているのが、知人の作品「摩天楼・・・街の記憶(こころ)」、抽象的な美の表現だ。この暗室には好きな作品が多い。傑作は、橙色のグラデーションになっている行灯(あんどん)「魚的スケルツォ」だ。まさかその素材が、弁当などに入れられている魚の形をした醤油の入れ物だとは、すぐには分かるまい。
 4人の審査員は、50の作品の中から3つを選ぶことになっていた。私は迷った。選びたい作品がたくさんあり過ぎるのだ。好きな作品を選ぶと似た作品ばかりになりかねなかったので、私の今日の感性にぴったりの「KOGARASHI」(落ち葉の彩色がきれいで1枚だけ台から落ちていたのが気に入った)、建築現場にそのままの形で存在していても決しておかしくない姿の中に建築家が愛情を感じたと思われる「あ.こわれた〜」、暗室の中から、すりガラスに映し出された動く映像から裏の仕掛けが全く想像できなかった「Broadway」のすべて異なる印象の3点を選んだ。
 もう一つ、設計部全員参加の集合作品「MASS ART」は、10cm角の白い紙を素材にして、黒い壁に展示した多様な窓であるが、見れば見るほど作者の工夫が感じられ、どうしても何か賞を上げたくて、一つだけ、くり抜いて浮かび上がった黒の空間が鳥の形になっていた作品を、審査用紙に記入しておいたら、それにもリボンがつけられて、うれしかった。
 開場になり、たまたま東京から名古屋に移って仕事をしている知人の建築家が、鑑賞に来てくれて、ARTBOXを紹介できた。建築家は、入口に入ってすぐの透明ボックスにトランプを貼り付けた作品を見て、そのトランプの絵柄が20世紀を代表する建築シリーズになっていることを教えてくれた。さすがプロと感心するとともに、作品のタイトル「温故知新」の意味がようやく分かった。
 会場は未内装のままだが、人を入れて使用するために、電気配線はもとより、消火器や火災報知器、非常口の表示をするなど、ちゃんとやるべきことはやっているのも面白かった。
 ARTBOXは8日(土)の午後4時まで、名古屋市中区栄1丁目、地下鉄伏見駅7番出口からヒルトンホテルへ向かって歩いてすぐ左側の、喜多福@STEP 2Fで開催されている。

11月14日(金)「備忘録・・・の風さん」
 ここのところ、論文作成(仕上げ段階)に追われつつ、一方で事前に決めたスケジュールも無理してこなしていたため、その代償として、気まぐれ日記を更新している余裕が全くなかった(前回も1週間分をまとめて記入したけど……前科ありってわけか)。
 備忘録程度になってしまうかもしれないが、とりあえず、未記入分を一気に埋めることにする。

 11月5日(水)「これで健康?・・・の風さん」
 本社へ出張し、会議に出た後、製作所に戻る途中で郵便局に立ち寄り、振り込み手続きをした(ワイフにお願いしてあったのだが、なかなかやってくれないので、結局、自分でやることに……秘書が欲しい〜できれば若い女←おいこら)。
 製作所に到着するとそのまま診療所へ直行し、4週間に1度の血圧検査を受けた。合わせて、先月の定期健康診断結果通知書を医師に見せて、所見を聞いた。血液検査や尿検査の結果などを詳しく解説してくれ、さらにBMIといった数値にも触れ、結局、「どこも問題なし。長生きしそうだ」というハッピーな結論に(笑)。
 帰りがけ、看護婦さんに「めちゃくちゃな生活をしているけど、不思議なことに、数値上はどこも悪くなさそうだね」とぽつり。「でも、大事にしてくださいね」としっかり釘は刺された。
 会社の同僚で先輩の方が、このたび黄綬褒章を受章されることになった。喜ばしいことである。会社に長く勤務され、人望が厚く、知り合いも多いことから、連日のように祝電やお祝いに訪れる人がいる。今日も、そういう方が見えたのだが、私にとっても古い知り合いに当たる。せっかくの機会なので、タバコを吸わない私も、喫煙ボックスに入って雑談することになった。お祝いのために訪れた人なのに、つい私は暴走して、昨今の時勢を高らかに語り、作家活動も紹介し、挙句の果てには、現場に案内して私が設計した最新の治具まで宣伝することに……。
 席に戻って、先週の出張報告を書き始めたが、予定の半分しかできなかった。

 11月6日(木)「精神教育・・・の風さん」
 昨夜も思ったように論文作成は進展しなかった。
 昨日に続いて今日もミッシェルで出社。夕方から本社出張があるからだ。
 私の職場には期間従業員がいて、春と秋に正社員登用試験にチャレンジしている。意欲のある若者が多いので、ぜひ合格してほしいと思っているが、この春ごろから激動を始めた経済環境のために、来年以降の正社員登用が順調に続くとは思えなくなっている。それで、この秋に挑戦する3人には、全員合格してもらいたいと思うようになった。
 最終面接の練習はかなり積んできたので、今日、私は、今週末に受験する2人を呼んで、午前中に徹底して精神教育をおこなった。つまり、心の底から正社員になりたいと願っている社員なら、どのような受け答えをするか、というテクニックを精神面から教えたのである。「そこまで言えるか」というところまで話したので、本人は圧倒されたらしい。
 さて、結果は吉と出るか凶と出るか。
 午後からミッシェルで本社へ出かけ、空が真っ暗になる頃、ようやく退社した。

 11月7日(金)「中国人の友だちができた・・・の風さん」
 5時半に起床して、本社へミッシェルで向かった。こんなに朝早くから活動を開始しているということは、昨夜、論文が進展しているはずはない(笑)。
 専務報告を終えて、製作所へ移動し、ばたばたと雑務を少し片付けてから、また出張した。「行けたら行くよ」と事務局に連絡してあった工場見学である。決して余裕があったわけではなく、以前から一度行きたかった近場の有名企業である。
 近場とは言ってもけっこう遠いので、最寄の駅にミッシェルを預けて、電車で向かった。
 途中、名古屋駅構内でパンとコーヒーで昼食を摂り、見学の団体と合流してJRへ乗り込んだ。実は、大野先生も一緒である。ということは、団体のメンバーは大学院の学生ばかり。つまり大学院の見学ツアーだった。
 名古屋からJRで1110円もかかるところにある目的地は、ソニー美濃加茂である。駅まで迎えに来てくれたマイクロバスに乗って工場へ向かった。
 ソニー美濃加茂はセル生産で有名になった会社だが、セル生産にだけ興味を持っているのではない。他社工場は、どこを見学しても得るものは大きい。その会社の置かれている経済環境、製品分野、モノづくりの基本戦略などが違うので、そこにある一つの最適解を学ぶことは、生産技術における限りない応用力を身につけるベースとなるからだ。
 デザインが気に入っていて、身の回りをソニーブランドで統一している私にとって、この工場は、愛用のケータイやデジカメの製造された故郷だった。
 見学を終えてマイクロバスで駅まで送ってもらい、帰りの電車の時刻を調べたら、けっこう時間があったので、中国人留学生を誘って、近くの喫茶店に入った。若い留学生の話を聞き始めたら、面白くて話をやめられなくなった。マスコミが報道する中国や、高い立場を築いた中国人と違い、彼らの意見や態度は本当に素直な中国を表現しているような気がした。ぜひ、もっと交流して、彼らから中国について多くのことを教えてもらい、私もまた日本について語りたいと思った。
 帰宅したら、またまた楠木誠一郎さんの新刊が届いていた。『甲子夜話秘録 鼠狩り』(大和書房)である。表紙の絵がいいな、と思いながら、帯の裏を見てビックリ! この鼠狩りに続いて、第二弾『狐狩り』(2008年12月刊行予定)、第三弾『天狗狩り』(2009年1月刊行予定)とある。ええっ!? これじゃ月刊誌じゃん。
 ちなみに寄贈された書籍一覧のページを見てください。毎月本が出ている……(絶句)。
 最新の生命科学を駆使して、楠木さんのクローンがいるのかも。

 11月8日(土)「勤務先の底力・・・の風さん」
 私の職場(ある研究開発プロジェクト)には、発足当時からモノづくりの現場があった。
 それが、やがて単なる試作・実験の現場から、ある程度まとまった数量を生産・出荷する現場へと成長してきた。
 発足して8年、私が担当するようになって4年目にして、初めてのイベントが今日ある。全社の品質技能評価競技会に3人が参加したのである。
 どんな競技かと言うと、良品・不良品を見分ける能力を競うのである。たとえば良品と不良品を一つずつ見せて、不良品はどこが不良か当てさせる、とか。良品と不良品の見本を見せておいて、100個ぐらいの製品の中から不良品が何個あるか当てさせる、とか。製品図面を元にして、ある製品をよく観察することで、そこに図面に合わない部分がないか調べさせる、とか。制限時間の中で、評価の正確さを競うのである。
 受付時刻を開始時刻と間違えた私は、とんでもなく早い時刻に技能研修センターに到着してしまった(笑)。
 聞けば、今日の参加者は、全社から550人くらい集まってくるという。規模の大きさに圧倒された。
 実際に競技をしている現場の見学をさせてもらい、またそのシーンをデジカメで撮影もさせてもらった。
 勤務先の将来のモノづくりの現場を支える若者たちの、真剣な姿を見ることができて頼もしく思った。
 昼食はコンビニのおにぎり2個で済ませ(最近多いなこのパターン)、続けて本社へ向かった。
 本社体育館では、2年に1度のアイデアオリンピックが開催・展示されているのだ。国内の関係会社や海外拠点からの出品も多く、冷やかしながら見て歩いたが、本格的な提案がほとんどで、勤務先の技術力の裾野というか底辺の大きさを感じた。4連覇中の研究所の作品の完成度の高さ(デザインの美しさも含めて)に驚嘆した。
 帰宅し、今日だけでなく、連日の無理で蓄積した疲労が出たため、また頭痛もひどく、そのままベッドに横になったら4時間も仮眠してしまった(^_^;)。
 晩御飯の時刻をはずさず起き出して、リビングへ行ってみると、新鷹会の仲間、二階堂玲太さんの新刊『真田昌幸』(PHP文庫)が届いていた。みんな、頑張っているなあ。
 勤務先と違って、私には底力はない……か(涙)。
 
 11月9日(日)「仕事の厳しさ・・・の風さん」
 昨日は名古屋で一人暮らしをしながら働く長女が帰省するはずだったが、仕事が遅くなったため帰って来れなかった。コックとは言え、一流会社の会社員なので、長女は仕事の厳しさを痛感していることだろう。
 論文作成が思うようにはかどらない私は、徹夜態勢で難なく午前零時をやり過ごしたが、その後、意外ともろく、急激に体力が低下し始めた。おまけに今夜は冷え込む。それで、書斎の石油温風ヒーターをつけたら、30分足らずでガス欠……じゃなかった石油切れ、となってしまった。
 午前3時頃に入浴して身体を温めてから再度頑張ったが、明け方、とうとうダウン。ところが、書斎で横になっていると急激に寒さを感じるようになった。それで、午前7時頃に、ベッドへ飛び込むことに……。
 目が覚めたら、午前11時半近かった。
 もちろん朝食など摂っていないが、すぐに昼食にするほど、私は怠け者ではない。昨夜の続きを始めた。疲労がとれたのだろう、またペースが上がってきた。
 午後2時にちゃんと昼食を摂って、その後も順調に論文に取り組んだ。
 それにしても毎日毎日、来る日も来る日も、論文作成に取り組んでいる。我ながら、その効率の低さに呆れるばかりである。やはり何事も若いうちにやらねばならないようだ。やれやれ。
 今日こそ帰省してくるはずの長女は、まっすぐうちへ帰らずに某所で友達と会って遊んでいたらしい。そこへまた会社から連絡が入ったという。長女のミスで困ったことが起きたのだ。それで、長女はいったん会社へ戻ることになり……。
 長女がやっと帰宅したのは深夜だった。私は相変わらず論文に取り組んでいて、出迎えてやることもできなかった。
 翌朝、ワイフに聞いたところによると、泣き腫らした目をして長女は帰宅したらしい。相当に悔しいことがあったのだろう。

 11月10日(月)「人生の侘しさ・・・の風さん」
 電車で出社した。会社バスに乗り継いで、製作所へ向かう途中の田んぼや野原を眺めると、ついこの間とだいぶ色合いが違う。あれほど繁茂していたセイタカアワダチソウが、すっかり元気を失い、頭部の黄色がくすんでいるのだ。ほとんど枯れ草と見紛うほどである。そして、セイタカアワダチソウに生命を脅かされていたコスモスたちも、その花の数がめっきり減って、花の盛りの戦場跡といった風情である。草花を眺めているだけで、人生を感じてしまうのは、私自身も盛りを過ぎて久しいからだろうか(……おっと、これじゃ、まるでうつ病の前兆だな)。
 今日も連続する会議に追いまくられ、やっと帰宅したときには、自宅にはもう長女の姿はなかった。今回の帰省で、長女と口をきくことはおろか、ちらりと姿を見ることもなかった。

 11月11日(火)「71歳の歌唱力・・・の風さん」
 ワイフが名古屋まで用事で出かけるので、駅までミッシェルで送った。
 いつものように慌しい会社生活を送り、夕方早めに退社した。
 今日は、知人のコンサートをワイフと一緒に聴きに行く予定だった。
 私はワイフより早くコンサート会場のあるホールに着き、ミッシェルを駐車させることができた。
 やがて、ワイフが電車で最寄の駅に着いた。
 駐車場で合流したとき、ハプニングが起きた。今日は早めに帰宅した次女が、家に入ろうとすると鍵がないのだ。何のことはない。持って出かけるのを忘れたらしい。それでも、庭にあるログキャビンの鍵が開いていて、そこに入れたという。冷暖房水道完備(トイレだけはない)のログキャビンなので、私はまるで心配しなかったのだが、ワイフがそわそわし出した。「可哀想だ」と言うのである。……。
 ……怒った私は、ワイフにミッシェルのキーを渡して、一人でコンサート会場に向かった。
 知人は地元で地方紙やタウン誌などを編集する仕事をしている人で、鳴海風として以前からお世話になっている。夫婦ぐるみのお付き合いだ。
 その人が70歳の記念にシャンソンなどを歌うという。
 今日は、ワイフは名古屋でお祝いの品物を買い、私はサイン入りの拙著を用意していた。
 ラテンからコンサートは始まった。知人の歌は実は初めて聴いたのだが、予想を超える上手さで、意外を通り越して驚きだった(失礼)。
 師匠筋にあたる女性歌手も歌った。タカラヅカのトップスターのような歌い方で、まさにプロ。他に来日して15年という中国人も歌ってくれたが、心に沁みる歌い方をする人だった。伴奏はクラシック・ピアニストがされた。ショパンの有名な曲も弾いてくれた。
 第2部はシャンソンになったが、早稲田大学時代のシャンソン研究会が発端らしく、これも他人に聴かせるに値する歌いっぷりだった。
 すべて終わって、見送られるときに聞いたのだが、今日が知人の71歳の誕生日だという。今年は加山雄三、小林旭、そして今夜のダンジー深見と3人の70代の歌を聴いたことになる。
 そして、ダンジー深見夫人から、ガンと戦ってきた夫人の妹さんが、先月の27日に永眠されたことを、そっと耳打ちされた。
 合掌。

 11月12日(水)「やっと論文が一段落・・・の風さん」
 昨夜も論文は完成を見なかった。
 今日もミッシェルで本社へ直行した。
 午前中は研究討論会を聴講。昼休みに当地の印刷所に頼んであった新しい名刺を届けてもらった。今年3月に拙著が増えているので、それを反映したのだ。名刺は従来のプラスチックのケースではなく、紙の箱に入っていた。
 「コスト削減ですか?」
 と私はつい会社の仕事の発想で質問してしまった、が。
 「エコ(環境対応)です」
 すかさず粋な回答が返ってきた。論文作成に明け暮れ、私は芸術家としてのセンスまで失いかけているような……。
 午後もずっと会議が続き、とうとう夜になってしまった。
 製作所には戻らず、そのまま帰宅することにした。
 今日は、辻真先先生の新刊が届いていた。『宗谷・望郷列車殺人号』(光文社文庫)である。念のため朝刊を開いてみたら、あった、あった、辻先生の新刊がしっかり宣伝されている。新聞に掲載された日に届くとは恐ろしい。
 とにかく今夜は論文を完成させなければならない。明日の夜、大野先生のご指導を受けるからだ。明朝までにメールでお送りしておかなければならない。淡路島のゆめ舞台で発表してから、実に1ヶ月半である。
 午前零時過ぎにだいたいの形ができた。そこからグラフなどの図表類を更新する作業に入った。これは機械的な作業なのだが、今夜はなぜかパソコンのソフトが言うことを聞いてくれず、ちょっと違った手法で画像を貼り付けなければならなかった。
 ようやく午前3時前に一段落し、電子メールに添付して先生へ送り、安心した私はそれから風呂に入った。朝シャンなどではない。ぼやぼやしていると次女あるいは長男までが風呂に入りに来るから油断はできない。
 就寝したのは午前4時頃だった。
 
 11月13日(木)「ゼミも無事に終了・・・の風さん」
 午前6時過ぎに這うようにベッドから出た。それもそうだろう、睡眠時間はたったの2時間だ。もしかすると今日で死ぬかもしれない(んなバカな)。
 最寄の駅まで歩いた。とても空気の澄んだ朝で、前方に伊勢湾が青く横たわっていて、その向こう、沿岸に広がる工業地帯やさらにその背景になっている山々までがくっきりと視界に入ってくる。どんぐりがたくさん落ちている駅までの道が、清々しかった。
 多忙でバタバタの連続だった話は今日はやめておこう。
 眠くて何度も気が遠くなりかけたが、夕方早めに退社し、会社バスに飛び乗った。そして、電車を乗り継いで、本山キャンパスへ……着いたら、建物の内部がやけに暗い。
 玄関の鍵を守衛に開けてもらったのだが、聞くと、今日は大学の創立記念日でお休みなのだという。しかし、大野先生の研究室だけが、今日は昼からここでゼミをやっていたそうだ。
 はたしてゼミ室には先生がみえて、未明に私が送った論文を読んでおられた。
 ……。
 いくつか打ち合わせをし、次のステップへの方向付けもすべてできた。今回の論文を完全に仕上げて提出することと、来年へ向けて、それを英訳してドイツの研究者のアドバイスをもらい、さらに二つの学会(機械学会と精密工学会)でも発表に挑戦する。
 別室で論文検索もした後、今日のゼミを切り上げることになった。
 自転車で来られた先生と別れ、私は地下鉄の駅に降りる階段へ弱った足を踏み出した。

11月15日(土)「とうとう論文が完成・・・の風さん」
 15日は新鷹会の勉強会がある日だ。以前は、その15日が土日に重なると、有休を取る必要もなく上京できたのでうれしかったものだ。
 今日は、とにかく自分の仕事を片付けたかった。
 昨夜は、たまった名刺の整理にも随分時間がかかった。スキャナーで読み込んで、名刺整理ソフトでデータベース化しておくのである。しかし、一方で、もらった名刺はバインダーにも整理してあるから、この2重の手間はいったい何なんだ、とツッコミを入れられても反論できない。だって、500枚入るバインダーの中には10年以上も前にもらった名刺まで、しっかりコレクションしてあるのだから。要は、モノを捨てられない人には、データ管理ソフトは無用の長物なのだ。やれやれ。
 おっと、今日は、論文の最後の仕上げから入った。こういった難物は、元気なうちに仕上げてしまわなければならない。
 昼食後、とうとう論文が完成した。自分なりに満足の行くところまで到達したのだ。
 あとは、大野先生の指導を受けてリファインすれば、学会へ提出できる。ようやくゴールが見えてきた。うれしい。
 この勢いで、今日は、これまた溜まりに溜まった領収書の整理もやり終えた。
 ふと気が付けば、今年もあと1ヶ月半である。作家としての収入の少ない1年だが、出るものはしっかり出て行った1年だ。
 夕食の後、少し余裕ができたふりをして、読書に当てた。

11月16日(日)「院生の中間発表会・・・の風さん」
 うちのシルバーの老化が著しい。猫らしくうとうと寝ているのはいいが、よく見ると、自分で自分の姿勢を維持する力がないらしく、だんだん身体が傾いていき、倒れそうになっては目を覚まして姿勢を戻す。また、うとうとしていると、ゆっくりと身体が傾いていき……を繰り返している。その様子がいかにも老いぼれた感じがする。昨今はシモの世話をする頻度も増している。あらぬところで失禁してしまうようだ。明日の我が身を見るようで、とても叱る気にはなれない。
 今日は大学へ出かけた。
 来春卒業するM2とD3の院生の中間発表会を聴講するためだ。来年のこの時期には自分も中間発表することになるので、卒業半年前の院生がどの程度の発表をするのか、興味があったし、そもそもちゃんと聴講しておいて、自分の研究のまとめ方に反映しなければならない。
 昨夜の睡眠はたっぷりだったので、電車の中ではしっかり読書をした。
 さて、問題の院生の中間発表だが、ほとんどできていないも同然で、あと半年でどうやって挽回するのだろう、と不思議だった。しかし、自分の研究に置き換えて考えてみると、いくつかの問題点が見えてきたのも事実である。
 このままいくと、経営情報科学という学位を取得することになるのだが、自分の研究の位置付けを明確にするためには、この経営情報科学という専攻分野について、もう少し考える必要がある。何でもいいわけではないはずだ。少なくともこの経営情報科学という分野は、目新しいコンセプトを包含している感じがする。
 それから、自分の研究の狭い意味での立っている位置を、再認識する必要もあると思った。先行研究の調査や歴史的・社会的な背景の認識がもっと必要である。そうでないと、唯我独尊の研究発表になってしまう。今一度、研究目的を明確にする必要がある。
 終わってから、作成した論文に対する大野先生のご指導があり、さらに、研究助成金で手に入れた物品を受け取って(こちらはうれしい)家路についた。
 夕食後、パスポート取得のための準備を少しした。来年ドイツへ行こうというのに、今年の8月で10年パスポートが切れていたのだ(笑)。

11月17日(月)「学会発表に何とかエントリー・・・の風さん」
 最近、比較的元気なので、かなりてきぱきと仕事に取り組むことができる。この勢いが続けば、年内に作家にも復帰できるかも。よし、頑張るぞ……と、今日も電車で出社。
 アクションアイテムをたくさん抱えて出社し、次々に積み木崩しにかかろうとしたら、しょっぱなからずっこけた。
 某学会のオーガナイザーを務める会社の同僚から、来年3月の学会発表エントリーを頼まれて了解していたのだが、先週、その処置をしないまま週が明けて、今朝、やっと同僚のメールを開いてみたら、な、なんと締め切りが先週の金曜日の午後5時だった!
 急遽、その学会発表のエントリー手続きに追われてしまった。
 ……。
 帰宅して、少しは何かやらねば、と思い、毎年恒例のJALカレンダーをネット注文した。

11月18日(火)「鬼が笑う講演予定・・・の風さん」
 今日は朝早くから会議があるので、普通ならミッシェルで出社するところだが、最近は電車通勤にはまっていることもあり(実はガソリン代節約だったりする)、2本早い電車で出社した。さすがに少し冷えるな、と感じた。
 今日は、うちの職場に女子の期間社員が、一度に5人も入ってきた。来月から夜勤もやってもらおうということで、急いで補充したのだ。一人だけお年を召した方がいて、他は皆二十代前半である。若い。
 先日、新聞で読んで驚いたが、いつの間にか、世の中、正社員以外が30%以上にもなっているらしい。1億総人口サラリーマン時代と言われた頃もあったが、正社員の比率がこれだけ減ってきたということは、大問題だと思う。会社の視点からはコスト競争力がついたとも言えるかもしれないが、日本全体から言えば、国力の低下を招いているに決まっている。若手社員の学力低下も顕著になってきているので、複合問題になる。
 昨夜とうってかわって、帰り道が、風が冷たくて、ちょっとしんどかった。
 帰宅したら、来年8月に予定している、第61回「軽井沢夏期大学」の日程の連絡が来ていた。私の講演は2日目の午前だった。
 後藤新平、大隈重信、加藤高明、新渡戸稲造、小野塚喜平次らによって始まった、伝統ある講座であり、私もしっかり勉強して臨みたい。
 一方、同じ来年の8月に、長崎で開催される「全国和算研究大会」での講演依頼も来た。こちらも名誉ある仕事になるので、しっかり準備して臨みたい。

11月19日(水)「木枯らし・・・の風さん」
 日中の最高気温が15度以下らしい。やや寒い1日になりそうだ。今日は、ミッシェルで本社へ直行である。やはり電車より楽だな。
 今日は、もしかすると夜東京出張の可能性があった。会社の仕事というのは、常に変化との戦いとなる。昨日までで私の出張はなくなっていた。ところが、本社へ行って打ち合わせている間に、またまた状況に変化が起きてきた。急遽出張が復活することはなかったが、連日ギリギリの中で業務は進んでいく。
 そういった厳しい中でも、一人三役をこなすために、切磋琢磨を忘れてはいけない。
 本社から製作所へ向かう途中、また郵便局に寄って振り込み。
 午後は同僚の発表資料の相談に乗って、あっという間に3時間が過ぎた。
 すっかり夜の帳が下りて、退社しようと外へ出たら、駐車場のアスファルトの上を、枯れ葉が乾いた音を立てながら旋回していた。スポット照明の下、まるで魔法に操られたように群舞する姿を見て、背筋がぞっとした。そして、実際に寒かった。そう。木枯らしが吹いているのだ。
 帰宅したら、「今夜は初雪かもしれない」とワイフが言った。地球温暖化が進む一方で、急な冷え込みも起きる。異常気象が着々と進んでいるようだ。

11月20日(木)「これからの生き方・・・の風さん」
 今日もミッシェルで直接本社へ向かったが、早朝から家を出て、病院に寄って切れた薬を2種類もらった。色々と無理をしているので薬の世話になることが増えているが、会社の診療所や売薬で対応できないものもあるのだ。
 意外と早く薬がもらえて、駐車場からのんびりと正門へ向かっていたら、知り合いとバッタリ会ってしまった。本社へ行くと古い知人と会う確率が高い。既に会社人生の第2ステージに突入されている先輩で、社外での活動が活発になっている方だ。近況を情報交換し、これからの人生の生き方で意気投合してしまった。やはり長い会社生活を生かした生き方を目指していくことが最も世の中のためになる。
 午前中に二つの役員報告があり、その間に、人事部へ寄ってちょっと用事をしたりした。
 製作所へ戻る前にも、しっかり昼休みに読書をした。大阪市立科学館の学芸員の方から送ってもらった資料を読んだのだ。来月大阪へ行くが、そのときに調査することがあり、そのための事前勉強である。
 製作所では、長丁場の会議になってしまった。
 お陰で、帰宅が遅くなってしまい、今夜は論文の手直しが少ししかできなかった。

11月21日(金)「BRAVIAの里・・・の風さん」
 今日もミッシェルで出社。新聞の天気予報は曇りだが、雨粒がときおりフロントガラスを叩く。寒い1日になりそうだ。途中、ローソンでパンとコーヒーを購入。
 8時から仕事を開始。午前中、役員出席の会議を二つ予定していた。どちらも内容的に厳しく、薄氷を踏む思いとはまさにこれ。
 どうにか薄氷を踏み抜くこともなく終わった……が、予定の12時を10分過ぎていた。
 しかし、それはある程度、想定内だった。
 真っ直ぐ駐車場へ向かい、すばやくミッシェルに乗り込んだ。
 7日のソニー美濃加茂に続いて、今日はソニー稲沢の見学である。電車では間に合わないので、ミッシェルで直行することにしていた。そして、前回は私費出張だが、今回は公費出張……、ま、そんなこと、どうでもいいか。早速、今朝購入したパンとコーヒーで昼食にする。
 小雨がぱらつく中、知多半島道路、名古屋高速、東名阪と乗り継いで、46kmを約50分で到着した。
 ソニー稲沢とソニー一宮は場所も近く、ほとんど一緒に運営されている。恐らく20年くらい前にソニー一宮を見学したことがあった。トリニトロンテレビを作っていた。コンベアラインで、搬送パレットが木製だった記憶がある。
 あれから会社としては激変していた。液晶への切り替えが遅れ、いったん一宮と稲沢は物流センターになり、従業員数は9人まで減ったとか。その後、2004年10月19日に、今度は液晶テレビで復活宣言し、わずか4ヶ月で今のラインを立ち上げたのだという。
 ソニー稲沢は液晶テレビと一部有機ELテレビを製造する拠点である。
 品質をコストよりも2ランク上に位置付けて、しかも徹底。ゴミの廃却を通じて4000万円を超える営業外収益を出すなど、様々な施策を通じて、世界トップを自認するまでになっていた。その迫力に、昨今流行のCSRなど、きれい事の経営がまかり通っている私の勤務先に対して、大いに不安を覚えた。
 ソニー稲沢を出発する頃には、あたりはすっかりたそがれ色に染まっていた。
 帰宅途中、大型電器販売店に寄って、ソニー製大型液晶テレビBRAVIAのカタログをゲットした。46インチのW1が388000円だった。稲沢での話では、最大の70インチの売価は400万円らしい。欲しいがとても買えない。
 帰宅して、ゲットしてきた実寸カタログを、テレビを収納できるサイドボードに当ててみた。
 40インチもちょっと難しそうだった。

11月22日(土)「ボージョレ・ヌーボー・・・の風さん」
 先週、大野先生から出ていた論文の修正指示が100%こなせなくて、結局、本山まで相談に行くことになった。
 約1時間、慎重に議論し、何とか出口が見出せた。
 発注してあった洋書が到着し、愛工大の図書館への登録も終わったので、渡された。分厚い本だった。はてさて、いつ読めるやら。
 帰りに高島屋の三省堂に寄って本を3冊購入した。重い。
 名鉄の改札口の前でボージョレ・ヌーボーを売っていた。フルボトルがだいたい3000円前後である。高い。
 通り過ぎようとした瞬間、ハーフボトルが目に入った。それでも17**円……だったが、つい買ってしまった。また手荷物が増えて重くなってしまった。
 ふだんは運動のために歩くのだが、メールしてワイフに駅まで迎えに来てもらった。
 早速、この夜、ボージョレ・ヌーボーを飲んでみたが、こんな美味い赤ワインは初めてかもしれない(いつも安いワインしか飲んでいないからなあ)。きっと来年も買うだろう。

11月23日(日)「論文修正が完成せず・・・の風さん」
 さあ、今日は論文の修正を完成させるぞ、と元気に(?)飛び起きた……つもりだったが、朝から頭が重かった。たらたら仕事を始めたが集中力が出ず、電子辞書にオプションの辞典を2つインストールしたりしてみた。少々手こずったが、何とか……出来た! 電子辞書がまたパワーアップされた。これは、英語の鉄人を目指す私にとって、強力な助っ人になる。
 午後になっても頭が重かったので、頭痛薬を飲んだ。そして、少しの時間だけど、横にもなってみた。
 夕方からようやく本気になって頑張ったが、結局、完成までいけなかった。
 昨夜のワインのせいではないと思うがなあ。

11月24日(月)「とりあえず雑誌を読んだ・・・の風さん」
 目覚めて、カーテンの外を見ると、青空が広がっている。気持ちのいい日になりそうだった。
 ところが、そこで急に、今日が祭日(振り替え休日)だということに気が付いた。電車が休日ダイヤである。それで、前回は失敗している。いったん目的の駅を通り過ぎて、戻ってきて、かろうじて間に合ったのだ。
 書斎に直行してパソコンを立ち上げ、乗り継ぎの確認をした。いつもより5分早い電車に乗る必要があった。
 ばたばたした朝だったが、会社バスに乗るまでに、目的の雑誌の記事を読み終えた。大阪市立科学館の学芸員の方から送ってもらった「天文教育」である。技術的に詳しく書かれてあった内容に感動した。
 今日はいいことあるぞ、と思った。
 実は、その後、急激に天気が下降線をたどり、午後には土砂降りになった。
 会社の仕事も超過密スケジュールになってしまい、あっという間に1日が終わってしまった。
 帰宅して論文修正に取り組んだが、終わらなかった。

11月25日(火)「今日もとりあえず雑誌を読んだ・・・の風さん」
 今日はミッシェルで出社した。会議をひとつ終えてから本社へ出張した。
 昼休みに、今日も雑誌を読んだ。「技術教室」という中学校の技術家庭科の先生を対象にした本だ。巻頭言が某出版社の編集長の文章で、読みごたえがあった。
 製作所に戻る途中で、また郵便局に寄って振り込みをした。もちろん詐欺ではない。来年精密工学会で発表をするので、入会したのだ。
 製作所に着いてから午後7時までびっしりと会議に追いまくられた。
 結局、今日も雑誌を読んだだけの1日か(笑)。
 明日から出張である。
 
11月26日(水)「久しぶりに小説家として行動・・・の風さん」
 泊まりで出かけるのだが、福島県郡山市まで行くので、コートぐらい着て行きなさい、とワイフに忠告された。もっともな話である。しかし、準備が間に合わなかった。いつものように夏服のスーツで出発(笑)。いちおう駅までは送ってもらった。
 寝不足にならないように、昨夜は早く寝たので、さっそく読書開始。帰るまでに2冊読破するつもりでいる。
 新横浜まで必死に読み続けた。1冊目の半分まで行った。
 仕事を終えたのが12時ちょっと前だった。同僚3人と別れた。私はこれから有休で、久しぶりに小説家鳴海風として行動する。
 駅の立ち食い蕎麦で昼食にし、憲政記念館で開催されている「怒濤の幕末維新」展を観に行った。憲政記念館は国会議事堂と国会図書館の近くにある。何度も通っている永田町駅2番出口から外へ出た。とは言え、実は憲政記念館は初めてである。
 国会議事堂の見学者がついでに寄って行くのかもしれないが、記念館内はごった返していた。歴史の証人とも言うべき書簡の展示が多く、照明がぐっと落とされている。しかし、あちこちに保存されている貴重な資料が一気に見られる点で、これは絶対お得な展示である。しかも無料。立派な展示録ももらえた。
 密度の高い展示で、この膨大な資料から、的確に時代の動きを再確認できる人はどれだけいるだろうか。初めて見た泣血氈(きゅうけつせん)に感動した。これは、会津藩主、松平容保が降伏する際に敷いた毛氈の一部である。幕末期、京都守護職として天皇に尽くした松平容保が、薩長の謀略のために一転して朝敵とされた悔しさは、この泣血氈に滲んでいる。
 東北新幹線に乗車して郡山へ向かった。また読書再開。1冊目の読破寸前まで。
 福島県在住の作家星亮一先生に会うため、先ず、事務所を訪ねた。
 駅近くのマンションの1室が事務所になっていて、チャイムを押すとすぐに星先生が出てくれた。写真は以前から拝見していたので、初対面のような気がしないが、かなり背の高い方で、いきなり気圧された感じ。
 事務所内は書籍で溢れ返っていて、執筆に追われている様子がすぐ分かった。
 その後、星先生が主催するMBA21「異業種交流会」の開催されるビューホテル・アネックスへ移動した。その「異業種交流会」に出席する、私の勤務先の子会社の社長の紹介で、今夜の出会いが実現したのである。
 交流会が終わって、星先生が「めったに来られないのだから、一杯、飲みに行こう」と誘ってくれたので、喜んで付いて行った。子会社の社長も一緒である。
 ようやく小説家の本領を発揮し出した私は、星先生と言いたい放題のコミュニケーション。地を出した私に、星先生はすっかり安心したようで、歴史認識で意気投合。気分は戊辰戦争の東軍である。
 2ヶ月前に知り合ったタクシー運転手が、今日は非番だったので、別の運転手になってしまったが、同じ会社のタクシーを拾って、母の家へ向かった。
 3600円で着いて、この夜は、シャワーを浴びてさっさと就寝した。

11月27日(木)「二日間の移動で1冊半・・・の風さん」
 今日も有休だが、スケジュールはびっしりだ。
 寝坊せずに起きて、朝食も早々に、母のセリカを借りて、ビューホテルへ。
 勤務先の子会社の社長をピックアップして、某社へご案内した。社長は、福島県に進出する新会社の社長を兼務しているので、親密な関係になってきている某社を紹介したくて、この機会を設けたのである。有休を取ってまでやることではないのかもしれないが、私の常識ではコミュニケーションはきわめて重要なので、お膳立てなどどうでもいい。
 お願いしてあった某社も社長が対応してくれた。
 ちなみに、子会社の社長というのは、私の元上司で、生産技術にはうるさい。工場見学で初めて見る工程があって、とても満足してくれた。
 昼前に訪問を終え、社長を駅まで送った後、セリカを購入したディーラーへ寄って、セリカの任意保険継続の打ち合わせをしてから、再び母の家へ戻った。
 昼食のために外出し、またまた母の家へ戻ったが、昼過ぎから雨が降り出して、気温が下がり出した。ずっと夏服のスーツで通しているので、そろそろ寒さを感じ出した。
 4時のバスに乗って郡山駅に向かい、東北新幹線、東海道新幹線を乗り継いで、帰宅したのは9時半過ぎである。帰りもひたすら読書に専念したが、結局、読めたのは1冊半だった。
 論文修正の仕事をしようと思っていたが、さすがに疲れていて、もう駄目だった。

11月28日(金)「すぐに会社モード・・・の風さん」
 今日も電車で出社。最近すっかり電車に慣れてきた。問題は天気だけである。今日はもう雨は上がっていたが、コートを羽織った。
 二日間出社しなかったので、仕事がたまっていたが、相変わらず会議の連続で、なかなか雑務を処理できなかった。
 1時間半残業し、すばやく机上を片付けて退社。
 今日も往復、昨日読み残した本の続きを読んだが、読破できなかった。なかなか内容の充実した本で、ポストイットを数ページに1箇所は必ず貼り付けている。
 明日はゼで、しばらく出来なかった論文修正を再開したいところだったが、疲労のために今夜も手がつけられなかった。

11月29日(土)「論文の完成はまた先へ・・・の風さん」
 7時に起床。今日は素晴らしい秋晴れだった。
 8時から元気一杯で論文の修正を開始した。2時からゼミである。
 夢中で取り組んだのだが、予定の出発時刻が近付いても、とても完了できそうになかったので、本山キャンパス事務へ電話して、ゼミの開始を3時へ遅らせて欲しいと先生へ伝えることと、出発前に電子メールで論文データを送付するので、プリントして先生へ渡して欲しいとお願いした。
 ゼミの開始を3時に遅らせても、最寄りの駅を1時32分に出る電車に乗らなければならない。1時過ぎにワイフが「お昼ご飯どうするの?」と心配して書斎まで聞きに来た。
 「下まで行っている余裕がないから、ここへ何か持って来て」と頼んだら、1時15分ごろに梅干のおにぎり2個とわかめスープを持って来てくれた。
 私は本山キャンパス事務へ電子メールを送るやいなや、すぐに寝室で着替え(またまた上下で4枚という薄着!)、書斎に戻るや、おにぎりを持って玄関へ。
 靴を履きながら、わかめスープを飲みきり、残ったおにぎりをほおばって玄関を出た。
 1時22分。電車が出るまで10分しかない。坂道を駆け下りるしかなかった。
 ゼミで、たくさん修正指示が出た。論文を書くのはなかなか骨の折れる仕事だ。
 先生から軽くて薄いノートパソコンを1台借り受けた。
 「勉強も作家の仕事も、これで頑張りなさい」
 ありがたい先生だ。
 来るとき駆け下りた坂道を、えっちらおっちら登って帰宅した。
 気温の高い1日だったので、上下たった4枚の薄着でも平気だった。
 しかし、ここのところ、頚椎症の具合が悪く、今朝もロキソニンを飲んだが、ちっとも効かない。やはりトレーニングするしかないようだ。
 
11月30日(日)「雑務ばかり・・・の風さん」
 今日も好い天気だ。こういう日は何でもできる気がする。
 午前中は、またたまっていた領収書の整理で吹っ飛んだ(笑)。収入がないのに、領収書類が増えるということは……赤字! アクティブにすればするほど、こういう事態になる。
 久しぶりにワイフとランチ……と言いつつ、実はドーナッツを食べに行った……ら、オール100円だった(^_^)。
 店内は高校生らしい若者たちで賑わっていた。試験週間らしい。しかし、ケータイ片手に友達とべちゃべちゃ話しながら、これで勉強ができるなら、誰も苦労しない。
 買い物をして、帰りにケータイショップで新製品をチェックしてきた。二人ともそろそろ2〜3年になるので、新機種に興味がある。来年は海外へ雄飛(?)する予定なので、グローバル・ケータイにしようかな、と遊び心がまた疼き出した。
 帰宅してから、次とさらにその次の週末のスケジュール作りを始めたら、こいつが相当に手強くて、夕食前までに終わらず、夕食後も続いた。
 秘書が欲しい……と唸ってみたものの、収入もない小説家に秘書の成り手はいない。

08年12月はここ

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